選挙活動は立候補者だけしてればいいと思ったら大間違いじゃね?
2013/09/24に書いたやつ
私がちょくちょく見てるブログのひとつ、ihayato.書店を見てたら、その中でとあるブログ記事に出くわしました。
選挙に行かない私としては、気になったわけです。
病児保育のNPO法人フローレンス代表 駒崎弘樹のblog: 選挙に行かない男と、付き合ってはいけない5つの理由
なんかこの記事がものすごくバズってたそうで、それで取り上げてたみたいですが、確かにひとこと言いたくなる記事ですね。私も選挙行きませんしね。
ちなみに私は選挙には一回だけ行ったことあります。その時は確か柔道の谷亮子(田村亮子)も立候補してたときで、私的には「こいつはないだろ…」と思ってたんですが、かなりの得票数で当選してて、げんなりしたのを覚えてます。
その時以来一回も行ってませんね。
ただの1票の無力さよ…
なんで行かないかというと、私が意を決して鼻息荒く選挙に行こうが、やっぱりいいやと行かなかろうが、その選択がどっちであろうがまあ結局は同じことだということがあります。
私のその行為が意味を為すのは、私が票を入れた立候補者が1票差で当選(落選)した時だけです。
その1票差を決する状況でない限り、私が行こうが行くまいが、何も変わりません。
実際に、1票差で選挙結果が決したことってあるのかな?と思って、「選挙 1票差」でググってみたらこんなスレが出てきました。
私みたいに選挙行ってもムダだっていう主張を1がしていて、それに対して批判がいっぱい付いてますね。
その批判についてはなんか的を射てないなぁと思うんですが(まあそういうのはネット上のどこでもだいたいそうですけど)、1もたいして多くを語ってないんで賛成も反対もできないんですけども、私の主義主張みたいなもんとはまたちょっと違うんだろうなとは思います。
自分の投票は投票ではない
私がこの記事で言いたい主義主張みたいなもんは、「選挙なんか行っても意味ないから行かなくていい」ということではありません。1票は無力といえどもその1票1票が集まって力となるのだから、実際、意味はあるのですし。
私が言いたいのは、「本気で社会に対して影響を持ちたいのであれば、ただひとりで選挙に行くだけではぜんぜん足りないだろう」ということです。
選挙であれば、自分がこの人だ!と思う立候補者にみんなに票を入れてもらえるような活動をしてこそ、はじめて本当の意味があると言えるのではないか。
選挙に行くべきという意見の人たちは、世の中をどげんかせんといかんという意思を持っているのでしょうし、そのことはとても偉いことだと思いますが、「ただ選挙に行けばそれでいい」という地点で思考が止まっているなら、それはちょっと問題があるのではと思います。
「それでやるべきことはやっている」と思っているなら、それはただの自己満足、勘違いなのではないか?と思うわけです。
自分ひとりの選挙に行く行かないは、1票の違いしか生みません。そしてそのことは、選挙結果に対してほとんど意味を持ちません。
だからこそ、自分が「この人なら」と思う立候補者にみんなに票を投じてもらえるような活動を行うことこそが本当の投票と言ってもいいのではないでしょうか。
それぞれのその活動を通して、共鳴しあったり、反発しあったりして、一般市民レベルでのより良い議論も生まれることでしょう。それこそまさに民主主義でもあるはずです。
私には今のところそこまでの政治に対する情熱はないことが、選挙に行かない(参加しない)一番の理由です。
選挙に行くべきという人は、そこまでしてこそ本当に選挙に参加していると言えるのではないか?ということです。
賢明も暗愚も、それ単体では同じ1としての力しか持ちません。間違ったことでも過半数が正しいと言いさえすれば、それは正しいことになるシステムでまわっている世の中である以上、いかに他の人間を賢明で正しい方向に巻き込んでいくかということを考えていかねばならないでしょう。
まあそのためには、なにより自分自身が賢明で正しくなければいけないんですけどね…。