いい記事がはてブに上がることはそもそもちゃんと設計されてない
昨日書いた記事に、はてなのシステムがそもそもどうなの?という部分も書いていました。
記事の評価はスターですべきなのかブクマですべきなのか、スターですべきなのかもしれないけどいくらスターついたってもっと見てもらえるようにはならないし、ブクマがつくとそうなるんだからブクマこそが評価になるよね、でもブクマはあくまでブクマだから評価関係なくつけるひともいればすごく評価しててもブクマはつけないひともいるよね、と。
そのことをもっと突き詰めてみると、ブクマは2通りの使い方をしている方がいるだろうと思います。
1つは、あとで読むためだったりとか、自分の仕事に関係する記事を集めたりだとか、文字通り「ブックマーク」としてのための機能でそれを使っているひと。小飼弾さんは自分のブログの時系列リストをつくるためにセルクマしてるそうですね。(2006年に書かれた記事ではそう言っている)
もう1つは、これはいい記事だと思ったり、問題提議としてみんなで議論されるべきと思われたような記事に、「よりみんなに見られるようになる」ことを目的としてブクマをつけるひと。
この2つの使い方がごっちゃになってしまっているのがよろしくないと思える。
1つ目の使い方をしているひとはどんなにいい記事だと思ってもブクマは付けないし、その逆にどうでもいいような記事であったとしても、「あとで読むか」と思ったらその記事にブクマを付けることになります。
ということは、ブックマークとしての機能どおりに「あとで読むか」と思って、ブクマをつけておくひとが50人ぐらいある記事にいたとしたら、それだけでもう人気エントリー入りなわけです。そこに記事の良し悪しはなんら反映されていない。(というより「タイトルの良さ」だけですね。釣りタイトルを助長するそのこともどうなんだ。)
私もちょくちょく「なんでこんなどうでもいいようなニュースとかに100も200もブクマがつくんだろう」なんて思ったことがありますが、「いい記事がはてブに上がるべきなのだ」という前提こそがそもそもに間違っているんじゃないでしょうか。いまのはてなブックマークのシステム上では、そうとしかいいようがない。
「いい記事にブクマを付けるべき」という発想は、「それによってよりみんなに見られるようになっていく」という機能から一部の利用者側が勝手にそう思い込んでいるだけであって、ブックマークとしての本来の機能を考えたなら、そこに記事の良し悪しが反映されることはそのうちの一部にしか過ぎないわけです。
だからこそ、どうでもいい記事も当然にはてブに上がる。上がって当然。
これまでに書いた記事のなかでけっこうはてなのシステムについていちゃもんをつけてきたような気がしますが、文句ばっかり言ってるけどじゃあどんなシステムだったらいいのかって?
それは、はてなの会社の中で仕事として給料をもらっているひとたちが、しっかり考えてほしいと思います。私にも給料をくれるんならしっかり考えますけどねw