バカの可視化ということについて
※2013/08/24に書いたやつ
なんか、飲食関係の従業員がtwitter上に洒落にならない悪ふざけの写真を投稿して炎上、そのまま会社も巻き込んでの問題に、っていうのが相次いで、しばらく前から話題になってますね。
ハンバーガーのパンズの上に寝そべってみたり、冷蔵庫の中に入ってみたり、ピザの生地を顔面に貼り付けてみたり、とか。ほかにもいっぱいありますけど。
まだまだリアルタイムなみたいで、本日2013/8/24にも、お好み焼き屋のソースとマヨネーズの容器の先を鼻に突っ込んで写真撮ってツイートしたバカがいて、炎上してるそうです。
ある意味、社会問題的な話題でもあるんで、ブログで触れて記事にしてる人も多いんですよね。
あるブログではこの現象に対して、「バカが可視化される時代」と捉えていました。⇒こちらのブログ
スマホの普及によって、だれもがその場で簡単にインターネット上への投稿ができてしまうようになった。それによって、もともといたのはいたであろうバカ達が、万人の目にも入るようになったということですね。
アンチ・アンチ・マジョリティ
そういうバカたちがやってることというのは、叩かれて当然とも言えるようなことなわけですが、そうやってみんながみんなで寄って集って叩くという状況にあると、アンチ・マジョリティな意見を述べる人たちが出てきます。
お前らほんとは私刑が楽しいだけなんじゃないの?とかね。
あえて炎上しそうな話題を提供することによって注目を集めたいだけなのか、それとも自身におけるやむにやまれぬ真善美を追求するがゆえの表明なのか、あるいはただの「俺はその他大勢とは違うぜアピール」なのか、その真の目的がなんなのかはわかりませんが、とにかくマジョリティを非難する意見のひとが出てくる。
そして、アンチ・マジョリティな意見が広まりだすと、当然のごとく今度はアンチ・アンチ・マジョリティな奴が出てくるわけで、←イマココなかんじなわけです。
「俺はその他大勢とは違うぜアピール」をしたい私としては、なにかちょっとでも気のきいたことを言わねばならない。
で、「バカの可視化」ということについて、大阪北浜にあるGOKANの桃のパイを食べながらつらつらと考えてたのです。
バカの可視化ということについて
twitter上でしでかしたバカ達は社会的にどうなったんでしょうね。企業からの損害賠償の額だけでも相当のもんだろうと思いますけど…。
まあこういうひとたちは、まぎれもないバカというか、大バカとでもいうか、バカと称するのになんの迷いも持たずに済むひとたちです。
その点で、一連の騒動に対しての「インターネット環境の発達がバカの可視化を生んだ」という視点は、まぎれもなく正しいでしょう。
でもそもそも、「バカ」って、どこからどこまでのひとたちが「バカ」なんですかね?
大バカはまぎれもないバカとして片付くのでいいのですが、世の中には、自分がバカであることに自覚もなく、また指摘もされないままのバカが大勢いるのではないか。
結局、「バカ」の正しい意味というのは、「自分がバカであることに気づけないバカ」に集約されるのではないかと思うのです。そしてこれは、あらゆるひとがバカである可能性を持つことを意味します。なんせ自分では自分がバカであることに気づけないのですから。自分は絶対にバカではないと思い込んでいるひとがいるなら、その時点でけっこうなバカですよね。
インターネット環境の発達によって、あらゆるひとが手軽に自分の意見を表明できるようになりました。私もこうやって、拙いブログをはじめたりなどしています。
そうやって、誰もが手軽に意見を表明できるがゆえに、ネット上のどこかでしょっちゅうのように、「炎上」ということが起こっています。
同じように、多くのひとが集まるネットの掲示板のような場所では、「荒れる」ということが起こります。
結局、これらが起こる原因というのは、「バカの発言」にあるのではないか。いや、「バカ連中の発言」というほうがふさわしいかもしれません。
ちゃんとした根拠や的確な洞察があるわけでもないような意見が、誰も彼もからたやすく主張され、それゆえに衝突を生み、そしてその解決に行き着くことも出来ない。
そういう事態がインターネット上のそこかしこで引き起こっているのが見て取れること。
そこまでひっくるめてを、「ネットの発達によるバカの可視化」と称するべきなのではないか。
いや、ほんとに、バカですみません。(パイはおいしかった。)