寿司はえんがわ。~Engawa R0tMG ブログ~ 別館

かったるい内容は別館でやることにしました

達意ということ

前にも少しだけ書いたのですが、このブログはいかにつまらないブログであれるかを目指すようなところも持ちつつやっています。

エピソードを入れたり、キャラクター性を持たせたりで面白さや説得力を増すようなことは極力せず、主張の核のような部分だけで勝負をしたいというのが私の本願でもありまして。

そういう、文章に魅力を持たせるための装飾をかき分けてかき分けて、その主張の核にたどりついてみれば、どこかで見たような聞いたような、そんな話でしかなかったというようなことも割とあるもので、それは私の目指したいところではないわけです。

 

 

丸谷才一の『文章読本』を読め。とくに、第二章『名文を読め』と第三章『ちよつと気取つて書け』の二つの章を繰り返し読むがよろしい。これが現在望み得る最上にして最良の文章上達法である。

 

作家の井上ひさし氏が、文章上達法について問われた際にこう答えたというほどの、文章法についての名著、丸谷才一文章読本』なのですが、その第二章第三章に続く第四章『達意といふこと』の書き出しには、こうあります。

 

しかし文章の最も基本的な機能は伝達である。筆者の言はんとする内容をはっきりと読者に伝へて誤解の余地がないこと、あるいは極めてすくないことが、文章には要求される。何よりもさきに要求される。(太字Engawa)

 

文章は、その伝えたい意味を伝えることこそが、最優先にして最低限備えねばならない機能です。「達意ということ」を果たせていないのなら、いかに美辞麗句で飾っていようがそれは文章としての最低条件を満たせていないことになる。

 「なぜこんなコメントが飛んでくるんだろう」というような、自分としてはあさってのほうから詰られているように思えることも、結局は自分がそのひとたちに対して「達意ということ」を果たせていないからに他なりません。

私もそれなりには「文学」や「文芸」などに対して愛着があるので、巧い文章を書いてみたいという憧れもないではないのですが、なにかの主張をしたいのであればそういう装飾の部分よりも、なによりの基本のキを徹底できているかにこそまずは気を回さねばなるまいと。

 

どこの馬の骨とも知れない弱小一般人ブロガーとは言え、本気で言葉というものと対峙してはいる。理不尽な罵倒や見当違いと思えるコメントに渋っ面を浮かべるまえに、彼らにそれをさせてしまう自分の文章はどうだったのかをしっかり省みていかないといけないなと思った次第です。

 

 

文章読本 (中公文庫)

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