読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

寿司はえんがわ。~Engawa R0tMG ブログ~ 別館

かったるい内容は別館でやることにしました

ブクマのもらい方(並びに、いい記事の書き方)

多くブクマが付くことにはそれぞれいろんな理由はあるでしょうけれど、そんな中でも2通りのわかりやすいケースを示せる気がします。

ひとつは、「ものすごくわかりやすい文脈である」こと。もうひとつは、「叩きがいがある」こと。

 

ひとつめとして、ものすごくわかりやすい文脈に体験談の体をのせてそれをそのまま出してくれば、それだけでたくさんブクマは付くだろうというのがあります。

「ものすごくわかりやすい文脈」というのはどういうことかというと、例えば、「努力は報われる」とか、「いじめよくない」とか。「笑える」というのもこれに含まれるかもしれませんね。

誰に聞いても「うん、その通りだね」と答えるような観念を、具体例としてその通り実現させていたり、あるいはそこから外れたものに非を唱えていたりすれば、正直ブクマを付ける方も付けやすいです。なんの逡巡もなく付けることができる。

そういうことが世の中の問題としてあることなんて、もう誰しもにわかりきっていることであっても、自分の体験として「ありましたよ、いけませんね」みたいな話を出したならば、それでブクマはきっといっぱい付きます。

 

ふたつめの「叩きがいがある」というのは、はてブ界隈を根城にしている方々ならよくご存知とは思いますが、晒し上げのつもりなのかただ一言言いたい結果そうなるのかわかりませんが、叩く意見に擁護する意見もいっしょに渾然一体となって、結果的にそういう「叩きがいがある」記事には、みんながブクマを付けてくれることになります。

具体的には、ちょっとググればそれがあらねばならない理由がわかるような不満、疑問をそのまま出したりとか、「わかってない」とみんなが言いたくなるようなちょっとズレた主張をドヤ顔でやっていると、たいていはいっぱいブクマを(ブコメを)付けてくれるでしょう。

純粋に「賛否両論ありうる」というテーマを主張できている場合も、「Yes」「No」の応酬で大きく伸びるでしょうね。

 

あと、これら2つのケースとは外れますが、記事のメリハリということも大事かもしれませんね。いつもいつもマジメな顔ばかりしていても、なかなか注目はされにくくて、硬軟織り交ざっている、ということは大きなポイントのひとつになっている気がします。ひょうきんなことばかり言ってるひとがここぞというときだけはマジメなことを言うとグッとくる。そういうもの、なんですね。

 

ヤンキーが善行をするとグッとくる。ロックライブで爆竹があがれば猫も杓子も沸き返る。そういういたって単純明快な、「大衆の習性」みたいなもんを汲んだうえで、ブクマが欲しいならブクマの付きやすい記事を書けばよいみたいなところは、そんなことを言うほうが下衆なのだけれど、あるといえばある。

 

ただ、狙ってそんなことをやったところで、一時的にひとは押し寄せるかもしれないけれど、まあそれだけですよね。

ほとんどすべての方が、ケースとして挙げたようなことをブクマやPV欲しさにわざとやっているわけではないと思います。そんなことをわざとやったってしょうがないし、「そんなことするか、馬鹿にするな!」と怒られるぐらいでしょう。

 

また一方で、ブクマが付きやすい記事があるように、逆に付きにくい記事も当然ある。「いいロックが売れない」と嘆くコアな音楽ファンがいるように、大衆に受け入れられやすいこととモノの良し悪しとはゆるい相関しかなく、ブクマの数もその記事がいい記事であることを完璧に反映するわけではありません。付かないからといって、記事がつまらないとかそういうことではぜんぜんない。

書き手がこれこそ読んでほしいと思うものほどあんまりブクマが付かないなんてことはよくあることだろうと思いますが、それも当然で、作品のクオリティや独自性の高さより、「大衆がいかに反応しやすいか」のほうがよっぽど左右することなんでしょう。

 

けれどむしろ、本当に読者を捕らえられるのは、言葉遣いの端々からにじみ出るそのひとの個性であったりとか、様々な体験の折り重なりをひとつひとつ垣間見せてくれることだったりとか、ひとつの記事のブクマの数には表れないような部分なんですよね。

 

 

自分はどんな記事を書きたいのか。

 

ブクマが付きやすいだの付きにくいだの、そんなものを突き抜けたところで書かれてある記事に、本当の良さ、面白さはあるのでしょうね。