寿司はえんがわ。~Engawa R0tMG ブログ~ 別館

かったるい内容は別館でやることにしました

ステマや釣りに図に乗らせないためにも

私はあちこちのブログでブコメになんか書き残しているので(汚しているとも言う)、当然ほかの方のブコメも多く目にすることになります。

そんななか、「ブクマもっとしようや」ということを書いてらっしゃる記事のところで、「中小ブログの大半はべつにそれほどブクマを欲しいと思ってるわけじゃない」という主張をなさっている方がいるのが目に留まりました。

というのも、私が目にしただけでも二箇所で「ブクマにたいした価値はない」的な主張をなさっていて、私のようにあちこちでブコメを汚していると、あ、同じ人だな、とわかるわけです。(べつに個人を糾弾したいわけでもなければ糾弾に値すると思うのでもないので、名は挙げません。)

その方のブコメを総覧してみると、「ブクマは目立ちたがりのステマのための場(だからそこにいい記事を求めても無駄)」という考えをお持ちのようです。

 

なるほど。でもだからこそ、ブクマを捨て置くことには問題あると思うんですよね。

いかにある人がその慧眼でもって「ブクマはステマの温床だからそこで上がってる記事にいいものを求めても無駄」と見抜いたとしても、世間一般の多くのひとはブクマがいっぱい付いた記事はいいものなのだろうと考えます。

つまり、みんながその通りに「いい記事にブクマをつける」ということをやっていかなければ、それこそステマばかりをみんなが読むという事態になっていくに違いありません。

 

私はあちこちのブログでスターを3つつけたりブクマをつけたりしているのですが、その行為はもちろん「勝手に」ということになります。(はっきり「やめてくれ」と表明している方にはしませんけどね。)

なかには、「本当はそんなことして欲しくない」と思っている方もいるのかもしれません。でもそういう方は少数だろうと推測します。自分自身をとってみてもそうだし、他の方が書いていることのふしぶしを読んだうえでも、「付けてくれたほうが嬉しい」という方のほうが多いだろうということが感じとれるからです。

「ブクマ欲しいブクマ欲しい」なんて言ってることに眉を顰める感じはわかりますが、それを表立って言うか言わないかだけで、たいていの人が「ブクマ付いたら嬉しい≒ブクマ欲しい」と思ってるんじゃないかと。

 

ブクマにしてもスターにしても、付けるか付けないかの2つに1つのどちらかしかありません。付けてほしい人も付けてほしくない人も(あるいはどうでもいい人も)もちらんどちらもいるでしょうが、彼らが自分でそのことを表明していない限りは、必ずどちらかを切り捨てることになります。

だったならば、「望んでいる人の多そうなことをやっていくほうがいい」ということにしかなり得ないでしょう。

そこに、「付けて欲しくない人もいる(どうでもいい人もいる)」ということをただ取り出してきたところで、「じゃあどうすべきなのか」ということになんら進展はありません。(「付けられたくないならその旨表明しましょう」という言説を唱えることのほうがよほど建設的です。)

 

「みんながブクマがいっぱい付いた記事はいい記事だと思っている」という事実はどのみち揺るがないのだから(つまりブクマにはそれだけの価値があるという事実も揺るがない)、その通りになるようみんなでどんどんいい記事にはブクマしていくべきでしょう。それは逆にいうならば、「ブクマ欲しさに書いていようがどうでもいいと思っていようが、書かれたいい記事はちゃんとブクマされるべきである」ということでもある。

いっぱいブクマがついてるのなんてどうせステマだ、とぼやいて背を向けたところで、それだけではステマや釣りがいっそう図に乗るだけなのですから。

 

以上、今日の「いいと思った記事にはどんどんブクマをつけましょう」主張でした。