スケジューリングはアートである(後編)
2013/09/11に書いたやつ
スケジュールを立てる習慣はありますか?
めんどくさい、縛られるのがイヤ、そもそも予定がない、などなど、スケジューリングをしない理由はいろいろあると思います。
手帳を買いはしたものの、ほとんどなにも書かないままに一年が終わってしまったとか、わりとよくあるのかもしれません。
予定はあるものではなく、つくるものだ
私のように根っこが非リア充インドア気質だと多いかと思いますが、「予定がない」→「スケジューリングのしようがない」のパターンの人。
気まぐれで手帳を買ってはみたものの、なんも書くことなくてほとんど真っ白で終わるのはこのパターンの人たちかと思います。
しかし、非リア充の一角である私はある時気づいたのです。「予定がない」と言って嘆くその発想がそもそもおかしいことに。
「そんなもん、つくらなきゃないに決まってる。」
そう、予定はなんもしなくてもあるものではなくて、自分がつくることによってはじめてできるものなのです。当たり前ですけど。
スケジューリングはアートである
目標を成し遂げるためのスケジューリングの重要性について、前編で書きました。
しかしそれのみならず、スケジューリングは毎日を楽しいものにするためにも、大きな役割を果たします。
なんとなくダラダラしてるうちに一日が終わったなぁ、ということはよくあると思います。一日自由な日にスケジュールを立ててないと、だいたいそうなります。
たまにそういう日があるのもいいかとは思いますが、いつもそれだとさすがにどうかと思えてきますよね。
世の中には、「やってみたい」とは思えても、エネルギーが必要で実際にはなかなかできないことがけっこうあると思います。
私なんかだと近くのコンビニに買いものにいくだけでもわりと億劫です。なんもないときは買い置きのサバ缶と白米だけで夕食は済まされます。
人によって基本のエネルギー量は違うと思いますが、エネルギーが乏しい人でもそういうエネルギーが必要な行動を取れるためには、あらかじめスケジュールとして組んであることです。
「ちょっとめんどくさいやりたいこと」に対して、あらかじめスケジュールとして組むというワンクッションを設けるようにすれば、ハードルは大きく下がります。というより、その習慣を持たないかぎり、ずっとやれません。
そんなふうに、「ちょっとがんばってやってみたいこと」、「成すべき目標としてやるべきこと」、「いつも通りにやりたいこと」、などなど、それらをひとつひとつの素材として、いかに充実した楽しそうな一日をデザインするかということ。すなわち、スケジューリングはアートなのです。
そして、その描き上げたスケジュールが映し絵になるように、自分のリアルに照らし出す。
「あえて」がキーワード
スケジュールを組んでいくときには、「あえて」というのがすごく重要なキーワードになります。
たとえば、やりたいことをやってみるにしても、”べつにやらなくてもいい”、というのが前提としてあるわけです。でも、「あえて」やる。
この日のこの時間にこれをやるというのを決めるにしても、必ずそうでなければならないという理由はどこにもありません。でも、その日のその時間にそれをやるというのを「あえて」決める。
どこかに出掛ける予定なんかの場合、はじまる時間はともかく、お開きの時間はアバウトでなかなか決めにくい部分があるのですが、それも「あえて」決めてしまうのです。そうすることによって、ダラダラせずにメリハリが付きます。
スケジューリングのコツとしてもうひとつ。
スケジュールを組む時間というのを、習慣として持てるようにしなければなりません。そのためには、ほっといても自分が取る行動に組み合わせるということが必要です。
スケジュールを組む時間を新しく独立して設けようとしても、たぶんそのうちやらなくなってしまいます。だから、「ほっといても自分が取る行動に組み合わせる」ということが必要なのです。
たとえば、「夕食後皿洗いを終えていつも座る椅子に座ったその時に、必ず組むようにする」とか。
大事なことは、その時に絶対やるという習慣を持つことです。一握りの意志力というのは何をやるにしても必ず必要ですね。
なお、寝る前はおすすめできません。なにかと遅くなってしまったりすることはあるものだし、ある程度の時間的余裕が確実に見込めるタイミングがいいと思います。
前編後編と続けてまで書いてきましたが、いかがでしたでしょうか。
毎日家でくすぶってるような人は、たまにはステキなスケジュールを立てるようにして、いっしょに擬似リア充を目指してみましょう。